【分断をこえてゆけ 有機と慣行の向こう側】第1回「人を傷つけないオーガニック」

有機農業を肯定するために、慣行農業を否定する必要はありますか?

東京の片隅でオーガニックカフェのマネージャーを10年少々務めたのち、現在は有機農業やオーガニック食品の普及支援、イベント企画などに様々なかたちで従事している。週末は郊外で畑を耕すライフスタイル……を夢見つつ、仕事に追われてなかなか辿り着けない日々だ。

初対面の人にこうしたプロフィールを伝えると、「野菜しか食べないんですか?」とか、「今日は有機の食事じゃなくてすみません」とか言われたりするが、そんなことはない。何でも出されたものはありがたく食べている。ただ、どちらかといえば、「自然派」には属しているのだと思う。

■人を傷つけるオーガニック

通常、有機農業やオーガニック事業に携わる人は、それらが如何に魅力的で先進的であるかということを熱心に発信することが多い。環境、健康、安全などあらゆる側面から、これこそが持続可能で未来志向のソリューションである、と。

その優位性を強調することが販促になり、ひいてはマーケット全体の発展に寄与するのだから、当たり前のことだ。そして多くの場合、社会をより良くしたい、このままではいけないという善良な動機づけがベースになっている。業界内部への批判的議論みたいなものも、あるにはあるが、あくまで局地的だ。

そんななかにあって僕は現在、農薬や種苗法改正についてなど、ときに有機農業やオーガニック界隈に対して批判的とも受け取られ兼ねない発言を各所で繰り返している。今のところ大きなお咎めは受けていないが、単に影響力がなさすぎて咎めるほどの存在感がないのだと思う。

誤解のないようにしておきたいが、何も意地悪や逆張り商法で業界の足を引っ張ろうとしているわけではない。仕事を失うリスクを冒してまで、そんなことはしない。有機農業やオーガニックには希望も感じているし、何より、尊敬に値する素晴らしい有機農家の皆さんとの出会いが、今の自分をつくっているのは間違いないのだから。

あえて批判的な発信を始めたのは、これまでの経験のなかで、オーガニックや自然食品への一面的で安易な信奉が結果として人を傷つける場面をたくさん見てきたからだ。

ただ、決心がついたのはつい最近のことで、それまではずっと「そんな嫌われ仕事、やらずに済むならわざわざやりたくない」と思って何年もウジウジしていた。でも、誰も代わりにやってくれないのだから仕方がない。これ以上、見過ごすことはできない。

■争いの種

例えば、有機農業の正当性や清廉さを強調するために既存の慣行農業を一括りにして、農薬や化学肥料を使う農家がすべて無知で怠惰な存在であるかのように貶めたり、慣行農法の野菜を食べることが病気の原因になるかのような脅し、過剰に健康不安を煽る言説などは、残念ながらまだまだ巷に溢れている。もし目にしたことがないという人がいれば、純粋に幸運なことだと思う。

断言しても良いが、そのようなことを言いふらす人々のほとんど全員、慣行農業や農薬のことなど何も理解していない。一方的な攻撃対象であってくれれば良いので、負の側面以外には関心がないのだ。まして当事者の声を聞いて実情を学ぶ努力などしない。

なかには明らかに科学的根拠の欠落した、思い込みや悪質なデマも少なくないが、既存のオーガニックマーケットはそれらの誤ったイメージを訂正する努力を怠り、どちらかと言えば流布するままに任せ、結果的には都合よく利用してきてしまったのではないだろうか(もちろん、僕自身も含めて)。

有機食品を食べることで体内の残留農薬が排出されるとか、特定の農薬成分が自閉症や発達障害の原因であるといったニュースがその典型で、どちらも「事実であれば」オーガニックのプロモーションに有効かもしれないが、残念ながら間違っている。それなら業界として「迷惑だから変な発信はやめてください」とアナウンスすればいいと思うのだが、そうはならない。

それらの情報がたとえ、子供達の健康を願い、自然環境のためにオーガニックの広がりを願う善意から発せられたものであったとしても、手段の公正性を欠き、むやみに他者を脅したり傷つけるものであってはならないと思う。

正当な目的のためなら手段は多少間違っていても構わない、という思考こそが、人の歴史に遍在してきた「争いの種」であり、最も乗り越えなければならないエラーのひとつだと考えている。

オーガニックを愛すればこそ、それにまつわるコミュニケーションは人に優しくフェアなものであってほしい。その実現されるプロセスこそが、オーガニックの理念を体現するものであってほしい。そう願わずにはいられない。

■ファクトチェックよりも難しいこと

先日企画を担当したイベント「有機農家と慣行農家の対話 農業のやさしい未来を考える」は、何かと比較対象となりがちな両者が、持続可能な社会に向けて協働するために垣根を越えて対話するというコンセプトを掲げた。終了後のアンケートで「有機農業と慣行農業それぞれへの誤解や、ステレオタイプなイメージ(ex. 有機は安全、慣行は危険)を変えていくためには、誰がどんな行動をすることが有効と考えられるでしょうか」という設問をしたところ、こんな回答が寄せられた。

「友人などが農薬やオーガニックについて間違えた情報を話した時に、 否定はしないながらも、正しい情報をきちんと伝えること。合わせて相槌を打ってはいけない!」

これは本当に耳が痛い。僕自身、特にカフェ勤務当時の現場においては時間の制約や立場上から、違和感があってもひとまず相槌を打って、話を合わせてやり過ごすしかないという経験を人並み以上にしてきた。そのことへの反省が今の活動に繋がっている側面もある。

誰だって、対人関係にヒビが入る危険を背負ってまで、他者の思い込みや誤りを訂正するのは骨が折れるものだ。まして、その場で専門家の意見やデータを引用したり、自分の言葉でスラスラと間違いを指摘できる人など、そうはいない。大抵は「それって、何か違うと思うんだけど・・でも私だってそんなに詳しいわけじゃないし」とモヤモヤしながら口をつぐむか、仮に指摘できるとしても、今度は角の立たない伝え方を探して悩むことになる。

■不安になるのは当たり前

実際、こうした活動を始めてから、あらためてよく耳にするのが「そうはいっても、不安になるような情報は次々に流れてくるし、何が本当に正しいのか判断のしようがなくて混乱している」という言葉だ。奇しくも2020年はコロナ禍でのインフォデミックにより、世界中が等しく同じような経験をしている。

仕事に家事に、ときには子育てや介護と、忙しい毎日のなかで、真偽のわからない情報や、相反する情報が流れてきたとき、いちいち信頼性の高いソースを探して、資料を開いて検証して……そんな作業を生活のなかに捻じ込むのは、容易なことではない。わからなくて当たり前だし、まして子供や家族の健康に関わるようなことなら、まず不安になるのは当然の反応だと思う。

この連載では、僕のこれまでの経験やエピソードを交えながら、オーガニック・有機農業・慣行農業といった言葉にまつわる様々なコミュニケーションエラーや、陥りがちな思い込みを解いていきたい。それが不安の解消にどこまで役立てるかはわからないけれど、少なくとも、不安な心から少し距離を置いて眺めてみるくらいは、お手伝いできるのではと思う。

忙しさのなかでもふと立ち止まって考えるきっかけに、使っていただけたら嬉しい。


◆筆者

間宮俊賢

◆プロフィール

1977年生・神奈川県出身。2001年頃より地域通貨のマーケットやイベントを企画。2002年、エクアドルを訪れた際に森林と共生する農法や現地の地域通貨に触れ影響を受け、2006年より東京・国分寺「カフェスロー」店長、マネージャーを務める。在職中にはカフェの運営に加え、在来作物がテーマのイベント「たねと食のおいしい祭」をはじめ多数の企画やブッキングを担当。国分寺の地域通貨「ぶんじ」立ち上げに参画。2017年カフェスローを退職し、その後は「次代の農と食をつくる会」「有機農業の日」「たびくるマルシェ」「雲仙たねのちいさな野菜市」等の運営や、各種企画に従事。制作を担当するメルマガ「OVJ headline」では毎月100本以上のオーガニック関連ニュースをキュレーションして発信中。

※記事内容は個人の見解であり、上記の各団体や企業とは一切無関係です。

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