【特集】『有機・無農薬』を超えて─ 農産物の『安心』を伝えるために:作物保護戦略としての総合的害虫管理(IPM)(2/2)

web版『農業経営者』1999年9月1日 特集「『有機・無農薬』を超えて─農産物の『安心』を伝えるために」から転載(一部再編集)

当誌前々号特集において「安心の農産物マーケティング」のコンセプトを示した。そのキーポイントは、適正な技術で作られた農産物についての「技術」への消費者の納得であり、顧客に「安心」して食べていただくための生産・流通における「信頼」の確立にある。そのためには、農産物を流通・消費する業界人と生産者、技術供給企業が、農業生産技術について共通の情報と認識を持ち、消費者に「安心」を伝えるネットワークを構築する必要がある。
また、消費者の「納得」「安心」を得るためには、ただ「農薬の安全性」を強弁するだけでなく、農薬に関する適切な情報を、生産者だけでなく、流通販売業そして消費者に伝えていくことが不可欠である。
そこで、今号及び次号において、農薬メーカーの方々をお迎えして、農薬開発や利用技術の現状、その安全性について、生産者や流通販売業の方々との情報の共有化の可能性などについてお話しをしていただく。
更に、IPMのための様々な技術が導入されつつある現在、IPMの基本的概念とは何か、また、どういった技術が提供され始めているのか等IPM技術の現状と展望について岡山大学教授・中筋房夫氏にお書きいただいた。

作物保護戦略としての総合的害虫管理(IPM)2

IPMに使用される防除資材
前にも述べたようにIPMは天敵などの自然制御要因の働きを重視するため、ここで用いられる害虫防除資材は天敵の働きを阻害するものであってはならない。

そのような資材には、昆虫の病原細菌(バチルス・チューリンゲンシス菌)の毒素を製剤化したBT剤、昆虫の成長や脱皮、外皮骨格を形成するキチンの合成阻害するなどの作用を持つ、昆虫生長制御剤(Insect growth regulator:IGR)などがある。我が国では、IGRに12剤が農薬登録されている。これらすべてが天敵に影響が少ないわけではないが、従来の殺虫剤に比べて選択性が高いものが多い。BT毒素に関しては、細菌の毒素生産遺伝子をトウモロコシやジャガイモに組み込んだ遺伝子組み換え作物が、米国などで広く栽培されている。我が国での実用栽培はまだないが、将来の有望な防除技術として注目されている。

害虫の雌、雄成虫間の交信を行う化学物質、性フェロモンを合成して野外に放出すると、交信が撹乱され、害虫が交尾できなくなり、増殖率が低下する。このような方法を交信撹乱法という。交信撹乱用の性フェロモン剤も14剤が実用化されている。中でも複数の害虫の性フェロモン成分を含んだ複合交信撹乱剤が細菌注目されている。リンゴ、モモ、ナシなどのシンクイガ、ハマキガに対する殺虫剤散布を大幅に減少させることができるほか、果樹園内の天敵類、とりわけハダニ類やアブラムシ類の天敵類が保護され、殺ダニ剤などの散布回数も同時に削減できる利益もある。

上記以外に、天敵昆虫を増殖放飼する天敵農薬が8剤登録されており、主として温室栽培の野菜や花卉類害虫防除に使われている。

従来果樹の吸ガ類防除に用いられてきた黄色蛍光灯が、野菜や花卉のヤガ類の防除にも有効であることが分かり、急速に普及しつつあることも注目される。

防除暦からの脱却
IPMのほかの二つの概念、(2)経済的被害の視点を持つことと、(3)害虫密度や被害の変動の見極めは、相互に密接に関連した事柄である。一言で言うなら、作物圃場で、害虫とそれによる被害の動きを注意深く観察しながら、今後予想される害虫による被害額が、もし防除したときの防除の費用より十分大きい、すなわち防除により得られる利益が防除費用を大きく上回る場合にのみ防除を行うというものである

わが国では、防除暦によるスケジュール散布が広くが普及している。しかし防除暦防除では、防除に使った農薬代と労力が、被害軽減によって得られた利益で十分報われたかどうかは定かではない。病害虫の発生はそれぞれの年や場所によって大きく変わるため、必ず無駄な防除が含まれてしまうであろう。

IPMでは、経済的被害に関わる害虫の要防除密度という基準の設定と、時々の害虫や天敵密度の監視(モニタリング)、および将来の害虫密度の予察(フォーキャスティング)を重視し、不必要な防除は行わないようにする。発生予察は広域にわたるので、主として県の病害虫防除所など公的機関が行う。一方現状の病害虫発生の監視は個々の栽培者がみずから行う。この個別の発生監視と発生予察の情報から、要防除密度を判断基準として栽培者が防除の要否を決定することとなる。

以上がIPMの意図する内容の概略である。従来行われてきた農薬中心の慣行防除との違いがご理解いただけたと思う。

IPMを売る会社
大規模農業が一般であるアメリカ合衆国では、IPMの防除システムと防除資材をパッケージにして商売する会社がいくつも存在する。たとえばその一つのキャンベルソープ社の農場主にIPMを売り込むときのやり方は次のようなものである。まず農場の半分の防除を請負い、残り半分は従来の防除法をやってもらう。もし請け負った半分で、慣行防除より多くの被害がでた場合は、会社が補償を行う。会社は専門の防除技術者を派遣して、圃場の病害虫の発生を監視させ、必要なときにIPMシステムに従って防除する。湿度が発病に大きく影響する病害の監視には、葉面湿度の経時測定なども取り入れている。害虫防除にはフェロモン、IGR、BT剤、天敵など可能な限り選択性の高い資材を用いる。このようなデモンストレーションの結果、多くの農場主は2年で全農場の契約を希望するという。大規模農場では、防除コストの軽減が経営戦略上重要なかだいであるからである。

おわりに
約30年目に筆者は高知県の農業試験場で働いていた。そのとき、当時のひっしゃらの研究指導者であった桐谷圭治博士と筆者らは総合的病害虫管理(当時は総合防除と言っていた)の考え方の重要性を主張した。農薬全盛時代の当時は「考え方はいいが、絵に書いた餅にすぎない」と筆者らは批判された。それから30年経って、事情は大きく変化した。多くの現場の病害虫防除の研究者や技術者がIPMの流れに沿った研究や普及をどんどん進めている。このような現場の努力により、IPMの考え方は着実に栽培現場に広がって行くであろうと確信している。
なおIPMについてより詳しく知りたい方は、拙著「総合的病害虫管理学」(養賢堂、1997)を参照されたい。


岡山大学農学部教授 中筋房夫
【プロフィール】
1942年兵庫県生まれ。九州大学農学部卒、高知県農村技術研究所研究員、名古屋大学助手、京都大学講師を経て現職。著書に「総合的病害虫管理学」(養賢堂)「害虫とたたかう」(NHKブックス、共著)「作物保護」(朝倉書房、共著)など。

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