【特集】食と農 安全・安心を考える 有機農業が唯一の解決策ではない みんなが食べ続けていくために選択の自由を守る

まき散らされる「食の危険情報」。不安が煽られる。そんな時代のなかで 「リスクコミュニケーション」をいかにとっていくか。
私たちは、かつては「口」で食べ物を食べていた。その後「目」で食べる時代になり、現在は「頭」で食べている。それに伴い農家の役割も、以前のように国民のための食料生産から、消費者の「頭で食べる」欲求を満たすための農産物の生産に変わった。そのため農産物は、マーケティング優位で情報を添えて語られるようになった。
日本に暮らす私たちは、「生きるため」ではなく「楽しむため」に食べる豊かな生活を送ることができている。それにも関わらず、食に関する危険情報がインターネット上にはあふれ、不安に陥っている人が後を絶たない。選択肢が増え、豊かな時代になったのに、自らなぜ選択を狭めてしまう行動を取ってしまうのか? この状況に対して、私たちは何ができるのか?

※本記事は『農業経営者』2020年2月号より転載

座談会
唐木 英明氏 公益財団法人食の安全・安心財団理事長 東京大学名誉教授
森田 満樹氏 消費生活コンサルタント 一般社団法人Food Communication Compass(フーコム)代表
久松 達央氏 株式会社久松農園代表取締役
聞き手・まとめ 紀平 真理子

■有機はピラミッドの頂点ではない――有機生産者の立場から

紀平 FOOCOM(非営利の消費者団体Food Communication Compassの略称)12月6日のメールマガジンで、食生活アドバイザーの瀬古博子さんが、「オーガニックは世界を食べさせられない」とのタイトルで記事を配信しました。そのなかで、グリホサート(ラウンドアップの主成分)と、オーガニックに関するEFSA(欧州食品安全機関)のウール長官の発言が紹介されています。「2050年には100億人が地球に住んでいる。グローバルな視点では、有機は解決策ではない。土壌の健康など有機農業の長所と、高収量という慣行農業の長所を組み合わせる必要がある」。
有機農家である久松さんが、現在感じていることを教えていただけますか。

久松 現在49歳で、20代半ばで有機農業を始めました。農業を始めた当初は、「農薬は悪いもので、それを使い続けている農家は見識に劣る古い人。『正しい農業』である有機農業をやれば、食べる人にも安全で、高品質の農産物ができ、環境にもいい」と本当に信じていました。ベタな有機農業信者だったわけです。
実際にやってみると、さまざまな矛盾に気がつきます。有機という一つの生産プロセスだけが、農産物を規定するわけもなく、すべては程度の問題です。就農して比較的早い段階で、科学の側から意見をいう人と議論をする機会があったこともよかったと思います。
今でも、「憧れている美しい農業のあり方」「純然たる農業生産技術」「客観的・科学的に農業を見ている人の意見」というそれぞれ矛盾する考えが、自分のなかに混在しています。だから簡単に何かに取り込まれないし、常に考え続けるところに身を置かなければならないんです。有機農業には、愛憎半ばする思いを持っていて、単純にいいとも悪いともいえません。本当に問題について勉強している人は、簡単に「イエス」「ノー」を割り切れないはずです。
有機農業を慣行農業の上位に据えて、「有機は絶対的に安全で、そこに向かってチャレンジすることが善である」ということを前提として考えている人が多い(参照:図1、図2)。でも本来は、例えていうなら、カレーの辛さのようなものだと考えています。辛口が好きな人は食べたら? 有機でやりたい人はやったら?という程度ものです。一つの方法論でしかない有機農業を、農産物の安全性や環境保全を担保する唯一の方法であるなどというのは、作家が「macでなければいい小説は書けない」というようなものです。

図1:農産物ピラミッド
図2:生協パルシステムの食品ピラミッド
紀平 ではなぜ、久松さんは有機農業をやっているのですか? 同業者やお客さんにその先の答えを求められたときは、どのように答えていますか?

久松 「趣味」だと答えています。個人的なこだわりです。どんなに能書きがあっても、「美味しい野菜ですよ」といっても、美味しくなかったり、不便だったりしたら消費者は買い続けないですよ。「有機だから美味しい」と主張する気はないので、食べる人からも同業者からも、有機農業をしていることに口出しをされる筋合いはありません。趣味だから、「有機は優れているか否か」という議論にも関心はありません。

唐木 有機農業を上位に置いていることについては、平成18年(2006年)に施行された有機農業推進法によるものです。法律を作ってしまったので、農林水産省としては従うしかない。有機農業の圃場面積を1%まで広げたいとしていますが、本当に日本で成り立つのでしょうか。

久松 そもそもさまざまな手法や技術があるなかで、安全、環境、循環、健康のために、農薬や化学肥料ゼロを目指すべきなのか? 消費者は本当に「有機」を理解して、拡大を望んでいるのか?など疑問に思っていることはたくさんありますね。

■文化、世代、国で異なる安全の概念――食の安全がいびつな日本

紀平 日本では、環境保全の観点というより、「有機農産物は人に対して安全」という意見に偏っていると感じています。EFSAのウール長官が、グリホサート(ラウンドアップの主成分)は「人間の健康にとっては安全」と明快に述べたとの記載がありましたが、ラウンドアップを含め、よく「人の健康に対して危険」という視点で、食品に関する議論がされています。「食の安全」とは一体何でしょうか?

森田 「食の安全」とは、健康に悪影響を与えることがないように科学的かつ客観的に取り組みが行なわれるものです。一方で、安全とよく一緒に使われる「安心」は、主観的なものなので個人によって捉え方は異なります。グリホサートは、EFSAのウール長官が「安全」だと述べ、日本の食品安全委員会も「安全」としていますが、消費者がそれを信頼して「安心」できるかどうかはそれぞれ異なるでしょう。

久松 日本は、「安全の大衆化」が進んでいますね。有機、慣行などを問わず、今の農産物は実態としては「超安全」なのに、「安心できない」人がかつてないほどたくさんいるねじれた状況になっていると感じています。

唐木 民主主義が成り立つためには、市民それぞれが、正常な判断力があることが大前提です。近年はインターネットでの間違った情報に影響されて、正常な判断が難しくなってきています。

森田 私は10年ほど前に、2年間タイに住んでいましたが、政情が不安定で民主主義の途上にあります。政府に異を唱えるような消費者運動もありませんでした。食の安全については、タイは食中毒が多く、食中毒がまさに「そこにある危機」です。保存料も効率的に上手に使って、常温でさまざまな食品がが販売されています。保存料の使用量が多いですが、「添加物は食中毒のリスクを減らす」すなわち、食の安全に貢献していると考え、添加物を信頼しています。ちなみにタイでは、「食の安全」という言葉はありましたが、「食の安心」はありませんでした。

紀平 以前世界の離乳食について調べたのですが、インドネシアのベビーフードには栄養素を含めていろいろと添加されていて、インドネシア人は子供の栄養不足や衛生上の安全のために、添加されている商品の方を好むという話を聞きました。ガーナの方も、離乳食に関して必要な情報は「栄養、衛生、健康」だといっていました。これらの国では食中毒や栄養不足が、まさにそこにある食の危機で、シンプルに「食の安全」が求められているんですね。
一方で、国が豊かになるほど「原材料が遺伝子組換えでないか調べる」や「ベビーフードではなく、できるだけ手作りが子供の健康にいい」という意見が出てきました。「食の安全」といっていても、実は「食の安心」を求めているのですね。

唐木 日本の場合は、統計上で食中毒による死亡者数は戦後の混乱期の年間1万人超えが最も多かった。現在の死亡者数は激減しましたが、患者数はそれほど減らず、年間で2、3万人です。しかもこれは、届出されたものだけです。
食中毒の届出は、複数の人が同じところで食事をして、同じ症状が出て、病院にかかった場合に医師が保健所に提出します。そのため日本の食中毒統計の正確さは、とても低い。厚労省の研究チームの推定では、実際の食中毒患者数は、届出の100~200倍といわれています。現在は、公式には2、3万人ということは、実情は200~300万人でしょうか。アメリカでは、食中毒の疑いがある場合はすべて届け出ます。ですのでアメリカより日本は、食中毒が少ないというのは間違いで、届出制度の違いだけなんです。

森田 そうですね。食中毒が食の安全で一番気をつけるべきものです。ただ日本では食中毒の死者は少ないので、あまり大きなリスクだと捉えられていないように思います。タイ滞在時に、日本の食の安全に対する消費者の捉え方にはいびつさを感じていました。
添加物や農薬、輸入食品などに対して過剰に危険視すると、科学的な安全がゆがんだり、過剰な社会コストがかかったり、持続可能な社会に逆行するのではないか。
そのような思いから、帰国後に消費者団体を立ち上げて、情報発信を始めました。消費者団体も科学について学び、さまざまな関係者と協働して、課題を考えて一緒に解決しようという方向に少しずつ変わってきています。ただマスコミは、消費者団体の意見を紹介する際に、科学について不安視する側が取り上げられることも多いですね。

■タイにおけるラウンドアップ――禁止と撤回の裏側

紀平 タイといえば、ラウンドアップに関する政府の方針が二転三転している印象です。なぜこのようなことが起こるのでしょうか?

森田 タイでラウンドアップが禁止されたり撤回されたりしたことが報道されていましたが、タイの場合は政情不安で、現在は軍政下のもとで上層部の政策もコロコロ変わりますし、特定の人に政策が握られます。タイは農業を発展させて「世界の台所」になろうと、欧州向けの輸出を増やしており、欧州の政策に過剰に合わせてしまう傾向も以前からありました。
10年前ですが、タイFDA(食品医薬品局)の食品関係の政策担当者にお会いすると、トップから担当者レベルまですべて女性でしたが、その多くが留学を経験していましたね。なので、コーデックス(国際食品規格委員会/Codex Alimentarius)やEFSAの考え方に影響されていると感じました。遺伝子組換え農産物の開発や利用を規制しているのも、同様の理由です。
またタイは、ヨーロッパに農産物を多く輸出しているので、基準に合わせなくてはならない事情もあります。おそらく政府の上部で、ラウンドアップを含めて3農薬の禁止を決めたのですが、農家から強く反発されてしまい、禁止を撤回したということではないでしょうか。政策決定のプロセスが不透明で、日本とは事情が異なります。

■消費者の声でできた食品安全委員会――リスク評価の透明な仕組み

紀平 そのような背景があったのですね。私たちの常識のみで物事を判断してはいけませんね。他に「食の安全」の議論でよく出てくるのが、農薬の食品への残留です。そもそも昭和23年(1948年)に施行された農薬取締法は、偽物の農薬を取り締まるためのものでした。
その後、日本の社会も農薬の内容も変わっていきましたが、今でも1960年代のレーチェル・カーソン(著書『沈黙の春』で、農薬利用される化学物質の危険性を取り上げた)以前のままだと考えている人も多くいますよね。

唐木 農薬を不安に思っている人が多い原因の一つは、「農薬は安全!」とだけいって、信用を失ったことがあります。農薬は少量なら安全、大量なら危険です。だから量を厳密に守って安全を保っているという量の観点の話をしないと、真実を語ってないと思われてしまいます。

紀平 農薬の安全性評価は当たり前ですが、なぜか薬害試験も残しています。薬害が出る農薬は今は使用できないので、薬害試験はもう不要だと思うのですが。

唐木 薬害試験は、作物に対する影響を調べるものなので、必要だと思います。人に対する影響は、食品安全委員会が調べています。

森田 平成15年(2003年)に内閣府に設置された食品安全委員会は、食品安全の取り組みを強化して、食品衛生法改正を求める1370万もの消費者の署名で作られたものです。リスクを評価をする仕組みを公開し、消費者のために透明な仕組みを作りました。多くの消費者団体は、これをきっかけとして、農薬や添加物のことをむやみに危険視しない方針へと転換しました。

■インターネットを中心に広がる新たな「食の不安」――リスク評価を無視した情報拡散

紀平 現在は、どのような食の安全の議論がされているのでしょうか。

森田 食の安全に関する議論は、大規模食中毒やBSE、中国餃子問題が起こった2000年代がピークでした。その後は、2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故に関連した放射能に関心が集まりました。現在は、食の安全に関する議論は落ち着いているように見えます。
一方で、添加物や残留農薬、遺伝子組換え技術に関して、食品安全委員会のリスク評価を無視した不安を煽る情報は、週刊誌やインターネットで発信され続けています。国のリスク評価やリスク管理の取り組みは一般消費者に届きにくく、「危ない」情報の方を信じてしまう人がいます。
彼らにどのようにアプローチすればいいのか。たとえば若い世代に届けようと、消費者センターが託児付きでイベントを実施しています。

唐木 「残留農薬怖い」「添加物怖い」「遺伝子組換え怖い」という人が増えたときに、社会にどんなリスクがあるのかがポイントです。もしマイナスでないのであれば、そのままでよいのですが、食品供給の安定性を損なうものであれば、なんらかの対策を取らなければいけません。今はそのような人の数が少ないのでマイナスが明確に出ていないし、将来も出る予測が立っていません。
本当にその程度で済むのでしょうか? この点に関しては、社会学者の検証が必要ですが、検証がありません。

■科学と社会の価値の橋渡し――科学者が果たすべき役割

紀平 インターネットでの情報で、食への不安が広がっている一つの理由として、科学と社会的価値が混同されていることも、正しい情報が伝わりにくい原因のように感じますがいかがでしょうか。EFSAのウール長官もグリホサートに関するアメリカの裁判について、「エビデンスにもとづく科学の領域と、価値にもとづく政治を区別していないことが間違い」とも述べています。

久松 一般の方が、食の安全情報を信じられないのは、科学や行政そのものが人々の信頼を勝ち得ていない背景もあると思います。科学的に間違った情報があふれている状況を、当の科学者は野放しにしていいのでしょうか。食の安全や農薬に関する怪しげなニセ情報に、科学者は反論しなくてはいけないのではないでしょうか。

唐木 科学者と技術者は違います。科学は「何かの役に立つ」といった価値とは無関係で、原理を調べます。新たな技術を開発してその社会的な価値を考えるのは、本来は技術者。ただ大学の先生はみんな自分を科学者だと思っていて、世俗のことには関わらないんです。そうなると技術者がきちんと発言しないといけませんが、中立の立場とみなされる技術者がいないことも問題です。やはり企業や政府に属していると、その発言が色眼鏡で見られてしまいます。
ではどうするか? 科学者が社会的な価値について発言しないといけませんが、そうする人は少ない。科学者としても、反省しなくてはいけません。私は科学の世界を飛び出して、新たな技術の価値についての発言を続けて叩かれてますが、もっとこのような人が多く出なくてはいけません。

■「食の危険」に目が向く理由――変わった社会と変わらない人間

紀平 今までのお話から「食の安全」は科学により担保されているにも関わらず、食に関する不安情報や危険情報が、インターネットを中心に増え続け、不安に感じている人がいることがわかりました。なぜ人は「食の危険」に目が向くのでしょうか。

唐木 オーギュスト・コントの社会発展理論における三段階の法則(参照:図3)では、昔は神学(=想像)の世界でした。その後ギリシャ、ローマ時代に哲学(論理=法律)が作られ、産業革命以降にようやく科学(=実証)ができました。私たちは今科学の世界に暮らしているのですが、しかし人間の考え方や判断はまだ科学のレベルまで至っていません。想像の世界にとどまっているのです。

図3:オーギュスト・コントの社会発展論
出典:唐木英明氏作成

科学の社会になったことで、多くのことが変わっています。食品関係では、(1)リスク、(2)メディア、(3)価値判断の3つが大きく変わりました(参照:下段記事「食品をめぐる近年の状況変化」)。しかし人間の考え方は、まったく変わっていません。だから現在では「新しい社会と古い人間の調整」が必要です。

食品をめぐる近年の状況変化

1、リスクの変化

食品にするリスクは2種類ある(図4:参照)。古いリスクは食中毒など五感で感じられ確認が容易だった。しかし新しいリスクである添加物や残留農薬などの化学物質は、専門家が科学技術を使って確認するしか方法がない。誰を信じればいいのか? 危険だと思うしかない、という構造だ。危険情報に目を奪われるのは人間の本能として当たり前だが、何か利益があったら人間は危険情報を無視する。最大の課題は「自分なりの判断」をして、解決した体験の結果得られる「先入観」と自分の先入観とは異なる「確証バイアス」である。


図4:食品に関する2種類のリスク


2、メディアの変化

新聞、テレビ、雑誌などの既存メディアとインターネットメディアの違い、これは公共の利益や社会正義を考慮して行なう編集(フィルター)の有無である(参照:図5)。増加するインターネットメディアでは、フェイクニュースや倫理観に欠けるものも含めてすべての情報を公開しており、情報混乱を引き起こしている。既存メディアはこれらの情報に対してファクトチェック等でフィルターをかけ 、一般人の情報選択や解釈を手伝う役割が期待される。

図5:既存メディアとインターネットメディアの違い

3、価値観の変化

2016年のワードオブザイヤー(イギリスにおける日本の流行語大賞のようなもの)に選出された「脱真実(ポストゥルース)社会」という言葉が価値観の変化をしている。脱真実社会(ポストゥルース)とは、客観的な事実より、虚構であっても個人の感情に訴えるものの方が、世論形成に強い影響力をもつことを意味する。

〈脱真実社会の一例〉
○閉症は流行病ですよ。小さなかわいらしい赤ん坊を連れてきて、馬に使うようなバカでかい注射器で注射する。実例ならたくさんありますよ。私どもの従業員の子どもがワクチンを受けて、高熱を出して、ひどく悪い病気になり、今は自閉症です。」(トランプ .D)

○「ワクチンと自閉症の相関を示す結果は報告されていません」(著名な小児神経外科医)

※上記の対話は、シャーロット著『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(白揚社)より
→ネットメディアはどちらを拡散しますか?
→乳幼児を持つ母親はどちらを信じますか?


■なぜリスクコミュニケーションが必要か――情報の量と質アンバランス是正

唐木 現在流通している情報を分析すると、安全情報が1に対して危険情報が9の状態です。情報量のアンバランスが非常に大きい状態。この状況を改善するのが、リスクコミュニケーション(注)の一つの役割ですが、それには資金と組織力が必要です。国が関与すれば早いのですが、私たちはないので知恵を使うしかありません。

紀平 量だけではなく、誰が発言するかも関係していますよね。例えば、専門家の解説より、一般市民の発言をメディアで取り上げた情報を信じる人が多くいます。

唐木 科学より物語を信じる。それが脱真実社会です。科学者は客観的に事実のみを伝え、物語は好まない傾向があります。そのため事実ではない物語情報が、インターネットメディアに拡散されたり、一般市民に信じられたりしてしまいます。そのような発言に対しても、リスクコミュニケーションをしなければいけません。

久松 たとえ科学的に正しくなくても、人が不安に思うことを他者が責めても意味がないと思います。電磁波が怖い人は、電子レンジを見るだけで頭が痛くなります。その頭痛を取り除いてあげたいのなら、それが現実的に物理空間で起きている現象であるかどうかとは別に、頭痛そのものは認めてあげなきゃ。つまらない何かに騙されているのかもしれませんが、思い込みによって頭痛は起きること自体は、生き物として普通のことです。

注:リスクコミュニケーションとは、社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などの関係者で共有し、相互に意思疎通を図ることをいう。

■伝えるメディアもシナリオありき――物語情報で強力なプロパガンダ

紀平 科学より物語を信じるといえば、ドキュメンタリー映画ですね。その影響を受け、ベジタリアンになる人がいるように、映画もまた何かに傾倒するきっかけになっていますね。農村部から遠く、農業に憧れがある都市部の若い人ほど影響を受けやすいと思っています。

唐木 映画の効果は大きいですよ。遺伝子組換え反対運動は、映画を効果的に使っています。それによって、反対意識を植えつけられた人もいます。

森田 Netflixでアメリカのドキュメンタリー映画を見られますが、作り方が上手ですよね。「夢」「自然」「安全なもの」「身体がよくなる個人の体験」の組み合わせ。映画の効果はすごい。対抗していかないと、ビジネスとお金が注ぎ込まれて、ますます強いプロパガンダが作られてしまいます。

久松 スポンサードされて発信している科学者を相手に、正当な科学者は価値に中立な立場を取るから戦っても勝てない。セラリーニ(注)のような科学者は、お金をもらって主張を広めています。消費者にはそれがわかりません。

森田 以前、ゲノム編集技術について取材を受けました。私は「ゲノム編集技術は持続的な農業を考えるうえでも、さまざまなメリットがある。外来遺伝子が入らなければ突然変異と同じであるが、リスクコミュニケーションが必要である」と話しましたが、結局、ゲノム編集技術に反対して強く規制を求めた消費者団体の意見が取り上げられました。
開発を進める研究者の意見とともに紹介されましたが、消費者は反対している、両論併記でいいとテレビ局は考えたのでしょうね。

唐木 シナリオベースで、それに合った発言しか取り上げない。危険情報は売れますからね。

注:ジル=エリック・セラリーニ、フランスのカーン大学教授。2012年2月に「GMO(ラウンドアップ耐性トウモロコシ)と、ラウンドアップによりラットの乳がんが増加した」という論文を発表し、同月にその宣伝映画である「世界が食べられなくなる日」の上映が開始された。その後論文中の実験内容が不十分だと判断され、ジャーナルへの掲載が撤回されたが、現在も反対運動の引用元に使用されている。

■農家は自分の農業を自信をもって発信して!――求められる農薬理解

紀平 私たちは、メディア以外にも身近な人からの情報にも影響を受けます。影響力があるであろう農家のなかにも、消費者に対しては照れなのか農薬に関してネガティブな発言をする方たちがいるように思います。日々勉強して、新しいことにも取り組んでいる農家の方たちであっても、です。その話を聞いている消費者の顔を見ると、「農家がいうなら、やっぱり農薬は危険なんだ」という表情をします。そのような農家の方たちには、自信を持って農薬について説明してほしい、ともどかしいときがあります。

久松 たしかに。慣行農業をしている少なくない普通の農家が、「本当は農薬を使いたくない」とかいっちゃいますね。堂々としていればいいのに、「自分が食べているものには、農薬を使いたくない」とか卑屈になったり。逆に「悪いものだとわかってるけど、使わないと仕方ない」と開き直ったり。どちらも、農薬の中身や適正な使用方法を正しく理解していないからではないかと。
私は農家出身ではないので、就農する前は、農家は正しい身体的な勘を持った人たちだと思っていました。植物と会話をし、生育状況を感覚的に捉えられる人たちだろうと。実際には、農家は物事を正しい知識をもとに判断していないことも多く、わりといい加減です。
農業の担い手たる農家自身が、農薬について正しくロジカルに理解をしていないことも、社会に誤ったメッセージを伝えている原因だと思います。そこは、農家側が責められるべきところです。
また農家の立場として、農薬が危険だと発言する農家は理解が浅いと思います。両方の立場からとことん議論しているところを見て立場を決めたわけでもなく、ゴリゴリの有機農業の書物を読んでもいないし。ゴリゴリ→違う→混乱を経ていれば議論になりますが、どちらも浅いんです。ある程度消費者に影響を与える立場としてどうかと思います。バイアス以前に浅いのが嫌です。議論にならない。
ただ栽培技術や規制などいろいろなルールも、農家の経営単位が零細小規模家族であることを前提として作られています。産業構造が変わっているのに、規制が対応できていません。本質を変えないと。

■同調バイアスのメカニズム――拠りどころをもつ安心感

紀平 私たちの価値観の変化と、メディアや身近な人からの偏った情報で「食の不安」を感じてしまうのですね。お母さんコミュニティにおいては、これが顕著かもしれません。とくに初めての子育てで不安な状況にいると、「皆と同じであること」に安心する傾向があり、私もとても理解できます。
食ではないですが、ある集落に住むお母さんたちが、集団で子供に予防接種を受けさせないという話も聞いたことがあります。

唐木 社会生活を営む人間には「同調バイアス」というものがあります。周りの人と同じにしないと、のけ者にされるという思いです。そうなると、リスクに関する教育がないことが問題です。リスクとメリットの計算ができ、自分で判断できるかどうかです。

森田 やはり教育が大切です。自分の意志で決断できるようになるためには、調べる力と考える力をそれぞれが持つしかない。その考える力と選ぶ力をつけるためには、偏った内容ではなく、科学的に学ぶしかないんです。

久松 世間でいわれている多様性が強まっていることと、同調バイアスに矛盾を感じるのですが。

森田 多様性といっても、人はどこかのコミュニティに属したい気持ちがあるのではないでしょうか。コミュニティを拠りどころとして安心感を得たいので、カリスマ性のある人に引っ張られて、ネットワークを組むように思います。

紀平 どのようなことがきっかけで、ネットワークに所属するのでしょうか。

久松 個人的な体験に結びつく何かがあり、強くフックとなる誰かの発言や記事などがきっかけとなるように思います。

紀平 ネットワークに属していた方たちの考えが変わることはあるのでしょうか。

森田 ネットワークによっても異なるのでしょうが、時間が後押しすることもあるでしょう。例えば、他のリーダーが出てきて主張が変わったとか、子供が大きくなって関心が変わったとかで、忘れ去られることもあるかもしれません。

久松 そんな程度のものなのに強力ですよ。忘却はいいですが、例えば、福島県の農産物の棚が奪われたままの状態での忘却です。数年で忘れる程度のものなのに、実害がありすぎですよ。

唐木 「日替わりリスク」ですね。毎日違うリスクを見つけて、昨日のリスクを忘れて行きます。ただそのなかのいくつかの問題が、長く続いていますね。

久松 農薬、添加物、遺伝子組換えは、ビジネスが絡んでいるので長いですよね。「無農薬」「無添加」「ノンGMO」を謳うことに「風評利益」がありますからね。

■「正しい藁」をつかませてあげる方法――食べ物情報に食われない

紀平 「無農薬」「無添加」「ノンGMO」を好む層にお母さんたちがいます。とくに子供の健康や、発達に心配事や悩みを抱えているお母さんたちは、残留農薬や添加物を気にする傾向があると感じています。科学や正しい情報で、このような悩みを持って苦しんでいる方たちに寄り添う方法はあるのでしょうか。

久松 溺れている人は、すがりやすく作っている藁に飛びつきます。どんな藁であるかを見るゆとりはありません。現代はすがりやすい藁が、インターネット上にあふれていて、飛びついてすがることが以前より簡単です。情報を発信する側も読み手側も、ちゃんと考えなくなってきています。
溺れている人の心情に理解がないまま、間違った藁にすがる人を「科学的に間違っている!」と責めることは、コミュニケーションとして有効でないと思います。
嘘を発信する人もたくさんいますが、タチが悪いのは、悪意なく嘘をいう人です。例えばアトピーで困っているお母さんが、それが農薬のせいだと思い込み、「農薬は悪だ」と善意で広めているケースなどは厄介です。素人ならともかく、専門家と称されている人のなかにも「善意の嘘発信」があります。悩んでいる人に正しい藁をつかませるのが科学の役割なのに、それができていません。ただ、嘘に簡単にだまされた人を救ってあげるコストを周りが負うのか?とも思いますね。

唐木 お母さんたちはとても責任感が強いです。例えば子供が自閉症の場合、お母さんは「自分の責任ではないか」と自分自身を責めてしまいます。そのときに、環境中にある除草剤ラウンドアップが自閉症と関係あるらしい、と聞くと飛びつきます。「私の責任じゃなかった」と安心します。
間違った認識と理解ですが、このお母さんたちの心理は理解してあげなくてはいけません。

紀平 そのような方たちに心理的に寄り添いながら、正しい情報を伝えるためには、どのようにコミュニケーションを取ればよいのでしょうか。

唐木 基本的には「なぜそう思ったのか」という情報源と、「なぜそう思うのか」という理由について、じっくり話を聞いてあげることが大切です。まずは信頼をされることが必要です。理解してもらえる関係性を築くと、初めて本音を話すことができます。結局は、心と心の問題。科学の教科書を持ってきて、壇上で話したら終わりなら誰も苦労しませんよ。夫婦や親子関係と同じです。

久松 何を参照して今を見ているか?ということも考慮しないといけないと考えています。今の20、30代は、上の世代とは違うものを参照して物事を見ているので、前提としてわかっているだろうと思い込んでいるとコミュニケーションは成立しません。我々の世代が謙虚にならないといけません。

森田 地方自治体のシンポジウムで、添加物、農薬、輸入食品、遺伝子組換え食品、ゲノム編集食品など食の安全に関する話をする機会があります。そこで安全確保の仕組みを話しても、なかなか伝わりにくいことが実情です。
先日、興味深い経験をしました。ある都市で開催されたシンポジウムのパネルディスカッションのなかで、お母さんであり、食育に関心がある民間資格のアドバイザーの方が「ある食品を食べると必ず気持ちが悪くなるが、それは添加物のせいだ」と発言しました。
私を含めたパネリストたちが、それぞれの立場でさまざまな視点から意見を述べました。そうなると、その様子を観ていた参加者たちは「根拠は何だろう」と考え始めるのです。これがリスクコミュニケーションだと考えています。
科学的におかしいと否定するのはいいのですが、ややもすると、その人のアイデンティティや人格までをも否定することになってしまうケースがあります。一科学に誠実であるほど、「100%安全」といった結論を押し付けることはしないし、そうなると答えが見つからないんです。
私は講演の最後には、「各家庭が食に使える費用は限られています。これは危険! あれはダメ!という食べ物情報に影響を受けて、食の選択が狭まると、食べられるものが限られてしまい、バランスよく食べることが難しくなります。その方が、食のリスクを大きくしてしまいます」とお話ししています。だから「食べ物情報に“食い物”にされないで」とお話ししています。

久松 シンポジウムのようなリアルな場では、インターネットの議論のように頑なになっていないのでしょうか? 以前とあまり変わらないと感じていますか?

森田 そうですね。ときどき極端な厳しい意見をいう方もいますが、参加者は私が一生懸命説明しているのを見て、腑に落ちているのか。最後に集めるアンケート結果が、悪くない場合が多いです。説得しようとするのではなく、一緒に考えようとする姿勢が見えるからでしょうか。そのときどきで参加者も違いますので、一概にはいえませんが。

■根気強く長くリスクコミュニケーション――インターネットでも応用

紀平 パネルディスカッションなど、さまざまな意見を客観的に聞けると、問題に対して理解が深まるのですね。ただ最近は、食の不安情報は主にインターネット上にあふれています。インターネットの世界では、この手法は応用できるのでしょうか。

唐木 インターネットの世界での議論は課題ですが、すでに欧米では答えが出ています。議論は大切ですが、反対意見をもつ当事者同士が話すと破滅的になります。「代理の議論」が大切です。もともと科学界では以前から反対意見をもつ人が壇上で議論をして、参加者は会場で聴講し、最後にどちらが論理的で、科学的に正しいかを会場の人が判断していました。アメリカやヨーロッパでは、この手法をインターネットの世界に持ち込んでいます。
例えばアメリカで、遺伝子組換えに関する公開討論が行なわれました。賛成派2名と反対派2名が壇上で議論をしたあとで、会場の参加者の賛成と反対の割合を公開します。さらに、オンラインで観覧した人の賛否の割合も提示します。この1、2時間の白熱した議論を観察することで、参加者は問題点やその根拠について理解できるようになります。この手法のよさは、壇上での議論は客観的だということです。壇上で議論するのを聞くなら、誰も傷つかないですよね。
人間は、説得されたくないと感じることも多く、人の話を聞いて自主的にわかることを望みます。なので、この機会をできるだけたくさん作ってあげることが大切です。7、8割はこれで理解をしてくれます。

紀平 残りの2、3割に対しては、どのように接すればいいのでしょうか。

唐木 心をほぐすために、信頼関係を築かないといけません。長い道のりですが、その努力を惜しんだら、リスクコミュニケーションはできません。その2、3割がインフルエンサーの場合、放置せずじっくりと話し合います。「確証バイアス」に取り憑かれている強固なグループや、ビジネスで風評利益を求めて主張をしているグループに対しては、お互い共感はしなくても理解することはできるようになります。理解ができると、少しずつ行動も変わっていきますよ。
リスクコミュニケーションは、「よくわからないから受け入れられない層」を対象にします。根気よく長く続けることが大切です。食品安全委員会が行なっている「食品安全モニター調査」でも、成果が出ています(参照:図6)。倫理観や正義感に関するトピックについては、リスクコミュニケーションには向きません。また感情や利害とは無関係な、例えば「冥王星は惑星か?」などのトピックは、すぐに対立が解消します。残留農薬や添加物などの食品はその中間ですので、リスクコミュニケーションを長く続ければ効果が出ます。

図6:リスクコミュニケーションの成果
出典:食品安全委員会「食品安全モニター調査」をもとに唐木氏作図

■どちらが正しいかではなく両方とも認める――プロセスとプロダクト

紀平 農業はもともと多様性のある産業で、そこが魅力だと思っています。栽培方法、栽培作物、販売方法も、またその組み合わせも何でもいいわけです。さらに消費者である私たちが、食品を選択する基準も、本来は人それぞれ違います。それなのに啓発と称して、「無農薬」や「無添加」がいい、正しいというような情報、つまり消費者側の選択を制限しかねない情報が多くあると感じています。この傾向が進むと、離乳食の手作り信仰の二の舞になってしまうのではないかと不安です。
離乳食は手作りの方がいい、正しいと主張する方がいて、ベビーフードなどの加工品を使うことに罪悪感を感じてしまうお母さんが多くいるように、無農薬や無添加ではない食品を選ぶことに罪悪感をもつ方が出てきてしまうのではないかと心配しています。

唐木 今の食品問題はすべて「プロセス」の話です。「プロダクト」としては何も変わらない。例えば、加工食と手作り、慣行農業の農作物と有機農業の農作物、昆布出しと旨味調味料などプロダクトとしては変わらないですよね。このプロセスの違いがビジネスになっています。これをどう捉えるか?
それぞれの消費者が選択する理由は「好み」かもしれない。私は好みを認めるべきだと思います。選択の自由を守れることが大切です。対話性がある今の日本社会では、どちらかが正しいではなく「両方とも認める」ことが大切なのではないでしょうか。

■新しい視点をもたらすSDGs――食と農を深く考えるきっかけに

紀平 「どちらが正しい」ではなく、「両方とも認める」ことが大切だとわかったと同時に、難しさを感じています。私たちがそれぞれの選択の自由を守り、自分中心の視点ではなく、もう少し広い視点で、農業や食を考えるにはどうすればいいのでしょうか。

唐木 SDGs(持続可能な開発目標/Sustainable Development Goals)は、農業においても考えないといけないと思います。環境だけでなく、栽培している人のことも含めてサステナブル(持続可能)かどうかは重要です。

久松 農業のプレイヤーとして憧れたのは、そういう部分です。今でいう「エシカル」という概念に共感を覚えるのも、有機農業に取り組んだ理由の一つです。有機農業はSDGs的価値に近づく一つの方法論だと思いますが、唯一ではありません。さまざまな要素間でトレードオフもあるので。そもそも一つの方法論で、SDGsを実現できるわけもありません。

森田 SDGsは企業や消費者に、新しい視点をもたらします。企業は自社の取り組みを、SDGsに当てはめて進めるようになり、株主にもアピールするようになりました。
脱プラスチックや食品ロスなどの議論は、消費者団体も関心が高く、積極的に学習会を開いています。SDGsは、私たちの暮らしを考えなおすきっかけになると思います。
そのなかで、食に関しても「どうすれば持続可能なのか」考えてみてはいかがでしょうか。一つの農法がすべて救うわけでもないし、オーガニック食品が救うわけでもない。添加物を使うことで食中毒のリスクを減らして、食品を長持ちすることもできて、たくさんの人を食べさせられます。慣行農業によって、適正価格で多くの食品を選択することもできます。
今消費者運動のなかで光があるのは、SDGsによって、みんなが食を深く考えて、どこに出口があるんだろうと考えるきっかけづくりをすることです。この先、気候変動で農業が困難になり、世界の人口が増えるなかで、みんなが食べていくための技術はなんだろう?と考える。新しい技術が、私たちに何を与えるだろう?と。
科学者は広く伝えることが難しいと思いますが、ジャーナリズムや消費者団体は、この問いかけをしていくことは大切だと思います。

紀平 きょうはどうもありがとうございました。


※この座談会は2019年12月に行なわれた。

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