たてきも自動車を持っており、毎日の通勤に利用しています。実は駅から歩いて3分位のところに住んでいて、家の前には大きなスーパーもあるし、無ければ無いでなんとかなるというのが正直なところです。しかし、職場までは電車とバスなら45分ですが、車なら20分で行けます。雨が降っても気にならないし、帰り道に買い物に寄ることができるのも良いところです。電車通勤なら片道430円かかりますが、自動車なら100円程度のガソリン代で済むのも見逃せません。もはや自動車なしの生活は考えにくい状況ですが、自動車が日本の庶民に普及したのはここ30年ぐらいの話しで、それだけ短期間で世の中に密着したものになりました。自動車に乗っていない人も、トラックなどの輸送機関によって間接的に生活を支えられています。結論としては現在において自動車は必要不可欠なものであると言えます。
■人はなぜ自動車のような危険なものに乗れるか?
一方で自動車を原因とする事故死者は年間1万人います。排気ガスによる喘息や光化学スモッグなどとの因果関係が認められており、地球温暖化の元凶ともいわれる炭酸ガスの排出のうち、2割強は自動車由来です。騒音、振動は人々を悩ませ、暴走族などによる悪用も後を絶ちません。
これほど危険なものになぜ乗れるのか?それは上記したように必要だからです。つまり、ある程度の危険性(リスク)は必要性のためには容認されます。これはリスクがあっても必要性があれば許されるということではありません。リスクを最小限にとどめる努力をしていれば、最小限のリスクはやむを得ないということです。それは免許制度であるとか、より安全性の高い新型車の開発など、物心両面から行われるべきことです。
つまり、人が物事に関して必要性を認めるかどうかにあたり、安全性は色々なファクターのうちの一つに過ぎないということがわかります。安全性は最も重要なファクターの一つですが、それはコストや必然性などと同レベルのものです。また、人間は気まぐれや流行によって左右される点も見逃せません。それらについて各人のバランス感覚によりそのものの必要性が決定されます。
【安全性論議から必要性論議へ】
・農薬が安全かどうかの議論がやめて、必要かどうかをみんなで議論する
・農薬の使用目的は食糧の増産ではなく、人類の幸福な発展である
・農薬を使った方があなたにとって得なのか損なのか?
人類にとって得なのか損なのか?
・安全性は必要性を考える上で、たくさんあるファクターの一つに過ぎない
■移動手段は自動車だけではない
今、自動車について考えてみたわけですが、移動手段は自動車だけではありません。例えば札幌から東京へ行くことを考えた場合、飛行機を使うのが普通ですが、安全性だけ考えれば電車の方が良いでしょう。しかし、そこに利便性のファクターやコストや気まぐれが入って来て、実際には多様な交通機関が住み分けています。自動車の話しをし出すと自動車の話にばかり目が行きますが、排気ガスを問題にして討論するならば、そもそも車自体がどんなに改善しても電車に勝てるはずが無いという結論を出すのがもっとも良いのです。そもそも自動車の安全性についての論議のきっかけば、移動手段としての価値についでであったはずですが、いつのまにか自動車は良いか悪いかという細かい議論にはまりこんでしまっています。